CBD市民ネット/人々とたねの未来作業部会
(第2.1版、2010年9月4日)

生物文化多様性保全のための植物種子保存の重要性


概要

 植物のたね(種子および繁殖体を含む)は全ての生物のものであり、太古から自然と人類の祖先が育んできたもので、特定の個人や企業の商業的独占物、ましてや国家の所有物ではない。自然の生態系や農耕地で植物のたねが生息地保全されてこそ創造的、継続的な生物種の進化が保証され、生物多様性をより豊かに維持することができる。生物多様性条約においては生物を物質的に還元し、「遺伝資源genetic resources」という経済的素材の側面を強調した表現を用いているが、植物は単なる資源物質ではない。資源という言葉の背景には、加工して財やサービスを生み出すという概念が含まれ、人々の生活の営みからの乖離を助長する表現である。したがって、条約の文言定義において、具体的に「種子seedsなどあらゆる繁殖体を含む生命あるもの」と補足表現を追加すべきである。
 日本には世界に誇るダイコン、カブ、ナス、ウリ、漬け菜類などの素晴らしい在来品種が数多くあるので、野菜の2次多様性センターといえる。これらの環境に適応したたねとその生物文化多様性に関する伝統的知識体系の継承は未来に向けた持続可能な平和社会づくりになくてはならないものである。農家や家庭菜園で自給する市民の自家採種(自らたねを播き、栽培し、再びたね採りを繰り返す)は人々の基本的生活基盤であるので、すべての植物のたねへの自由な関わりを将来にわたり保証すべきである。
 全世界の市民は、生物多様性条約が環境倫理、生命倫理、次世代および開発途上国・地域に影響することに配慮し、人々とたねの未来のために地域的に市民種子銀行を創り、これらを国内外で広くネットワークして、協働すべきである。人々が暮らしに役立ててきた栽培植物の在来品種およびその種子保全の緊急性に対する認識そのものが希薄であるので、全ての生命の生物文化多様性保全を生涯学習、環境教育、平和教育、食農教育などにおける大切な課題として、これらの知識や技能を学び、広く普及啓発すべきである。 

 人々とたねの未来作業部会は、有機農業、自然農法、小規模農業、家族農業および市民農園などホームガーデンの自給的農耕者、シードセイバーほか環境NGO・NPO・CSO、生物多様性や国際開発の研究者などの多様な立場の“たねを考える人々”の集いであり、生物多様性条約第10回締約国会議(名古屋)に向けて、国内外の人々に“たねの自由と未来”に向けた提言を行う。


生物文化多様性保全のための植物種子保存の重要性




 たねは生命の神秘を象徴する。そして、あらゆる地球上の生命の基盤であり、人々の生活の営みが畳み込まれた究極の贈り物である。今、たねの多様性とその未来は、取り返しがつかないほどの危機に瀕している。

 『土壌、水、そして遺伝資源は農業と世界の食糧安全保障の基盤を構成している。これらのうち、最も理解されず、かつ最も低く評価されているのが植物遺伝資源である。それは、またわれわれの配慮と保護に依存している資源でもある。そして、おそらく最も危機にさらされている。』 (FAO: 食糧・農業のための世界植物遺伝資源白書 1996)
 『遺伝子の多様性は地球規模で低下しており、特に栽培種において際立っている。』 (国連ミレニアム生態系評価 2005)
『20世紀に農作物の遺伝的多様性の90%が喪失した。』(CIP-UPWARD 2003)

 人々とたねの未来作業部会は、有機農業、自然農法、小規模農業、家族農業および市民農園などホームガーデンの自給的農耕者、シードセイバーほか環境NGO・NPO・CSO、生物多様性や国際開発の研究者などの多様な立場の“たねを考える人々”の集いであり、生物多様性条約第10回締約国会議(名古屋)に向けて、国内外の人々に“たねの自由と未来”に向けた提言を行う。

植物のたねの重要性 
 生物多様性条約が対象とする多様性には、生態系のレベル、種のレベルに加えて種内の変異が含まれている。私たちの生活にとってもっとも身近な生物多様性は栽培植物や家畜の種内の変異であるにもかかわらず、このような変異(品種など)が生物多様性の重要な一部であるということはあまり認識されていない。遺伝資源の利用とその利益配分に関する国際政治の視点からの議論ばかりではなく、栽培植物の種内レベルの多様性として在来品種を育んできた地域農家の認識や直接利用価値の視点から論じることがより重要である。
 植物は単なる資源物質ではなく、生命あるものであり、長い歴史を通じて生態系の中で自然選択を受けつつ進化を続け、生物群集、種、個体群および遺伝子レベルの生物多様性を蓄積してきた。また、栽培植物は近縁野生種と連続的に存在しており、自然選択に加えて農耕者による人為選択も受けており、地域固有の環境下で人々と栽培植物は長い時間をかけ適応し、豊かな生物文化多様性を支えてきた。しかし、栽培植物は近年の生産効率重視の農業が急速に広がる中で、ともに育んできた農や食の文化多様性とともに品種の多様性を衰退させている。植物のたね(種子および繁殖体を含む)は全ての生物の生命をつなぐものであり、太古から自然と人類の祖先が育んできたもので、特定の個人や企業の商業的独占物、ましてや条約が主権を認めている国家の所有物ではない。自然の生態系や農耕地で植物のたねが生息地保全されてこそ創造的、継続的な種の進化が保証され、生物多様性をより豊かに維持することができる。それゆえに、生物多様性と文化多様性を統合するたねの保全手法をとる必要がある。

人々とたねの未来のための提言
 1.国連は、生物多様性条約において生物を物質的に還元し、「遺伝資源genetic resources」という加工して利用される価値を重視した経済的表現のみを用いており、具体的に生物的内容を示していないので、条約の文言定義において、具体的に「種子seedsなどあらゆる繁殖体を含む生命あるもの」と、補足表現を追加すべきである。
 また、すべて等しく植物の重要さに鑑みて、特定の有用植物のみを遺伝資源として保全対象として表示すべきではない。

 2.各国政府は、地球環境の劣悪化および人口の激増により、今後、自然災害の発生と食糧の生産不足が予測されるので、グローバル市場に対応した食糧安全保障においてたねの保全・供給戦略を位置づけるべきである。生物多様性条約ではグローバルな視点からの主要な栽培植物種の保全および国家レベルの食糧安全保障に関してのみ述べているが、地域固有の環境に適応進化してきた有用な野生植物、生活文化に寄り添った栽培植物およびその在来品種が数多くあることを調査、認知し、その利用にあたり人々の主権を認めたうえで適切な保全策を講じるべきである。

 3.各国政府および農業関係団体は、生息域外で種子を保存する種子銀行はあくまでもバックアップであることを認識し、生息域内で継続的に栽培される中で自然選択と人為選択が起こっている農耕地でこそ栽培植物の種子保存をすべきである。しかしながら、穀物や換金作物を生産、販売する商業資本の進出で、地域の農耕地そのものが人々の手から奪われている現状もあり、農地政策と連関して種子保存のための施策を講ずるべきである。
たねは国家レベルの食糧安全保障のみではなく、地域・コミュニティおよび各戸レベルにおける食料主権を保証する重要な役割を持っている。しかし、先進国、途上国を問わず、生物多様性に関係する植物の新品種保護国際同盟等の国際的枠組みの普及により、各国内で人々の食料主権を侵害する知的財産保護法や改良品種の使用を強制する種子法の整備が行われることになった。これにより個別地域で適応してきた在来品種の自家採種による存続が阻害され、家族農家や先住民族および自給する市民の基本的生活基盤が脅かされている。長い歴史をもつ彼らの伝統的知識体系や農耕文化に尊敬の念をもち、地域における有用野生植物や在来品種のたねの持続的利用を認めるべきである。

 4.日本政府は、農業団体、環境団体および市民と協働して、農家や家庭菜園で自給する市民の自家採種は基本的生活基盤であるので、たねへの自由な関わりを将来にわたり保証すべきである。また、栽培植物の品種に関しては、生物多様性条約との比較において、多少なりとも多様性の守り手である農民の役割について明示的である食糧農業植物遺伝資源条約の批准を行うことを提言する。
さらに、新品種育成者の権利保障の在り方および種子供給の公正で新たなしくみを作り、種苗会社の種子製品には放射線照射、雄性不稔など育種方法の詳細表示を求めるように国内関係法令及び組織・制度を整備すべきである。

 5.全世界の市民は、生物多様性条約が環境倫理、生命倫理、次世代および開発途上国・地域に影響することに配慮し、人々とたねの未来のために地域的に市民種子銀行を創り、これらを国内外で広くネットワークして、協働すべきである。人々が暮らしに役立ててきた栽培植物の在来品種およびその種子保全の緊急性に対する認識そのものが希薄であるので、全ての生命の生物文化多様性保全を生涯学習、環境教育、平和教育、食農教育などにおける大切な課題として、これらの知識や技能を学び、広く普及啓発すべきである。  

世界の現状
 世界的に見ても、コムギ、イネ、トウモロコシ、これらに続いてジャガイモ、オオムギ、ダイズ、モロコシなど、主要な食糧穀物・イモ・マメ類の少数種はモノカルチャーによる商品作物として、広大な面積にそれらの改良品種が栽培されている。緑の革命は見方によれば穀物種子の生産増加を果たしたが、有家畜農耕で求められる植物体の茎葉を含むバイオマス生産から見ると、あるいは長期的に見れば、必ずしも成功事例ばかりではない。現代的農業技術が伝統的社会の土地所有制度など文化文脈に配慮することなく導入されたことが貧富の格差を増長し、地域社会を分断、持続可能性を著しく低めた事実は否めない。現代技術で改良した品種の導入は、多様性の豊かな地域において遺伝的侵蝕を引き起こして在来品種を駆逐した一方で、一部の先進国や企業によって収集された遺伝資源種子たねの独占、新品種の特許登録、遺伝子組み換え作物の問題など、統合的に考えねばならない課題が山積してきた。一方で、伝統的な自給的農業、家族農業、有機農法や自然農法など低投入持続型農業は未来に向けた伝統的知識体系を継承し、持続可能な社会づくりになくてはならないもので、再評価すべきである。まさに、たねは開発途上国の農村開発および人間開発に不可欠な要素である。このような再評価を実践している国際機関、NGO、市民団体等の活動は多く報告されており、遺伝資源の経済的側面を強調する国際的枠組みから、人々の生活を守るためにもより一層のネットワーク化が期待される。

日本の現状
 日本は南北3000Kmに及ぶ海に囲まれた細長い国土、火山や急流河川も多く、亜寒帯から亜熱帯にまで及ぶ各地方は多様な自然環境下にあり、その国土の約64%が山地で、森林面積の大方は人工林が占めており、第2次世界大戦後の拡大造林政策によって、スギ、ヒノキ、アカマツ、カラマツなど、限られた林木種だけがモノカルチャーのように植林され、治山治水による国土保全、林業の振興による山村活性化に失敗して、過疎高齢化等により日常生活を維持できない「限界集落」を増加させてきた。
 平野でも広範囲に都市や工業地が広がり、農耕地は著しく減少してきた。優れた農耕技術を用いた少数品種による水田稲作モノカルチャーは皮肉なことに水田という特色ある農耕地生態系の生物多様性を脆弱にしてきた。農耕技術の高度化が多くの化学肥料や農薬に依存する水稲栽培システムを確立した一方で、過剰生産の調整のために減反政策を余儀なくされてきた。食糧自給が著しく低く、食料輸入に頼る政策をとりながら、不思議なことに都市生活者は莫大な食物残渣をごみとして捨てている。専業農業従事者は減少し続けて、農耕地も減少しているにもかかわらず、放棄農耕地は増加している。
 近代農業が確立する以前、各地の環境に適合した在来品種が多数栽培されていた。しかし、水田稲作でも畑作でも農耕地の「構造改善」が進み、今日では少数栽培種の特定改良品種しか生産しなくなり、日本の農耕地生態系はあらゆる生物種に関して甚だしく多様性を失っている。日本で起源した栽培植物はワサビやフキなど片手で数えるほどしかないが、ダイコン、カブ、ナス、ウリ、漬け菜類などには世界に誇る素晴らしい在来品種が数多くあり、野菜の2次多様性センターであった。江戸時代には園芸文化が栄え、サクラ、ツバキ、サツキや変化アサガオなど花木や草花でも多数の品種が作出されている。遺伝学的にも民族植物学的にも、著しい変異を示す在来品種が多数存在し、四季折々の生活を豊かに支えていた。
 在来品種のたねを大切にする篤農、家庭園芸家や地域の種苗店の努力にもかかわらず、人々とたねの未来に関わる目標がどの程度達成されたかを評価できるような具体的調査データおよび目標達成のための行政策が不十分である。生産効率を重視する稲作中心の農業、食糧市場のグローバル化の進行、少数栽培種の少数品種を公的に奨励し、今まであった地域の在来品種や農耕地生態系の生物多様性を衰退させてきた。これはイネばかりではなく、イモ、マメ、野菜など、あらゆる栽培植物に関して言えることである。小規模自給農家の自家採種の伝統を衰微させ、将来的に個別地域で適応進化する在来品種多様性の拡大可能性を閉ざしてしまった。たねを守り続けている地域の種苗店、篤農、家庭園芸家も「絶滅の危機」に瀕しており、栽培植物の多様性が人々と植物の持続的な関係性によってのみ保持されていることから、今を逃すと私たちは永遠に人類と共生進化してきた栽培植物のたねの多様性とともに祖先より継承してきた伝統的知恵も失うことになる。


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